明日もある !凸凹家族

カサンドラ症候群です。自閉症スペクトラム、ADHDの子ども育児について綴っていこうと思います。

父危篤で一時帰省

11月7日(木曜)の夜に、父危篤?の一報が入った。
うーん。どうしようと一瞬迷ったが。(特に金銭面で)
話せるうちに会いたい!と強く思ったし。
帰沖することにした。
夫はと言うと。不思議なことに、相談がスムーズで。
あれ?っという程、普通の対応であったので、びっくり。
もっとも驚いたのは。彼の貯金から10万円をコンビニATMまですぐに行って、手渡してくれたこと。かなり成長したな・・・と感じた。
チューニングを合わせると、こういう普通の対応ができるので、期待してしまうが。
だからこそボーダーな人(グレーともいうね)なのだろう。


11月8日(金)、9日(土)、10日(日)の日程で帰省した。
兄も関東から飛んできた。一緒に車で病院に向かう。
病院と実家、姉の家の往復で疲れた。
でも、父に会えて良かった。
「(色々あったけど・・・。)たくさん海に連れていってくれてありがとう。高校生の時に、早朝から毎日3年間も送ってくれてありがとう。こんな立派な父はなかなかいないよ。」と言えた。涙が出てきた。背後にいた兄が背中をさすってくれたのに驚いたが。いい思い出になりそうだ。
てんかん発作をこのところ繰り返していたのだが。
不整脈が発見されたので、ペースメーカーを入れている。
そろそろ退院予定だったのだが。父親として、家長としての務めが終わったという気のゆるみが免疫力をさげたのか。MRSAに感染してしまった。しかも乾燥した皮膚からのかきむしりによる疑い。その後、あれよあれよという間に急変してしまった。
心不全、肺水腫、腎不全(傾向)で、尿が出ずに。いっきに12キロも浮腫で体重増加したらしい。
兄が大好きな父。
兄の姿をせん妄で見たそうだ。あとは、壁にゴキブリも・・・。
雨の中、兄が会いに来てくれたと。
兄の子が病室にいると。
意識朦朧状態だったのが。なんと、会話できるほどに変化していた。
さらに、食事も少量だがとったとのこと!
きょうだいがそろって、笑顔も見られた。
でも、手足は動かないほどむくんでいたが。
家族の力はすごいね。帰りに片手でバイバイしていた。
翌日は一転して悪化。一進一退だ。
でも会いにいって正解だった。

ここからは行程の記録。
上の写真と、下の地図・・・分かりますかね。
大隅半島?だと思いますが・・・。違いますかね。
こんなことを話しながらの道中でした。

もちろん、間が持ちません。
ミスドでもらったシール遊びが大活躍!
他にもなぞなぞの本やら。お菓子やらで気を引く。
耳栓は必須です。
エンジン音やら赤ちゃんの泣き声で、イラッとする子なので。
本人は成長して、泣くこともなく。成長を感じます。
往復LCCでした。行きはよいよい、帰りは最悪・・・・。LCCだからしかたがない。

病院に到着。
できたばかりの大きな病院。立派!
徳田寅雄先生の功績はすごいですね。
離島医療に社会貢献した大先生。
日本中に徳洲会病院は多くありますが。
政治的問題は別として。この社会的な功績はすごいです。
貧しい家庭で、弟を亡くされた悔しさで医師になったとか。
人間の命は平等。


沖縄県は、アメリカ統治時代を経ていますので、ハワイ大学との連携により医療はかなり先進的です。いまでこそ、医療格差は縮まってきていますが。沖縄県は、かなりの昔から、県民の命を守る医療・看護はレベルが高く、しかも均一です。
玄関ホールに小さな、でもグランドピアノがあったのに感動しました。

そして。病院のご案内表示!!!
多言語表示となっていました。英語、中国語、韓国語もある。
医療ツーリズムでもあるのか?
旅行客も海外から多く来るので、そのためでしょうか。
私が住んでいた10年前よりもはるかに色々な面で進化している沖縄を感じました。
南米やアジア(ミャンマー、ネパール、インドネシア)からの移住者も増加していると聞きました。世界に広がるうちなーんちゅ(沖縄人)ですね。


待合のロビーにはきれいな水槽があって。癒されます。
さすがですね。これはなかなかないですよね。病院には^^
海水で、イソギンチャクも生きているものでした^^

帰りの那覇空港にて。
アリモドキゾウムシ!

念願のブルーシールアイスクリームを食べる。
子どもにとっては甥っ子と遊べて楽しかった反面。
がまんすることも多かった旅路でした。
手を擦りむいたり。
顔面を転んで強打したり。
ふざけ過ぎて怪我もしましたが。
その程度で帰ってこれてよかったです。
自宅への到着は17:00頃。
11日(月曜)も、渋らずに登校してくれました。
10月、11月登校ができたら、レゴブロックを買ってあげる約束をしています。

行きにのった南海電車の特急ラピート!!!
降りたらキン肉マンだったので、急いでとりました。


最後に。
沖縄にいる時も。
帰ってきてからも。
父の世話。そして母の世話(別の病院に入院中)をしてあげたいという気持ちが強くなってきました。でも。今の私に出来るのか。子どもの環境整備はどうするのか。夫との関係は?自宅(ローン返済中)はどうするのか。決められませんが。


先程、夫と相談すみました。
はじめは例の極論でかみ合わない感じで。
もう泣けてきてしまった。この人には伝わらないと。
そしたら!なんと!
こちらに歩み寄ってきてくれました。
根は優しい人なのです。やはり。
ただずれてるだけ。思考回路が全くちがうだけですね。


色々な人の意見を聞いてみたり。
冷静に考える時間を(2週間くらい?)取ろうと思いました。
ここでは考えの吐き出しと、整理ができます。


とりあえず長期ではなく短期で。
こどもはせっかくなので。サドベリースクール体験させようかともくろみ中です。
決して安くはないので、慎重に考えようとは思いますが。
通級指導教室の先生や、役所の方などなどに意見聞いてみようかな?と思っています。
私が体験させてみたいのと。
どうせいつかは不登校ハイリスクになる子なので、体験しておきたいという思い。
両親のお世話や、ゴミ屋敷になってる実家の片付けをしている間のあずけ先もあった方がよいしという思い。
そういう情報収集していると気もまぎれるし。
私も、あれもこれもの悩みから一時的にでも逃げたいという気持ちがあるから。
渡りに船?みたいなチャンスかな?と。
ただ・・・実母との関係や距離感の取り方に気を付けないといけません。
取り込まれたら大変!

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