明日もある

カサンドラ症候群です。自閉症スペクトラム、ADHDの子ども育児について綴っていこうと思います。

遺糞・母の幼少期~思春期

今日の電車の帰りすがら。
ふと自分の幼少期を思い出した。
私もADHDがあるらしいというのは、はっきりした。
でも、それだけではハッキリしないこともある。
説明がつかない自分自身のこと・・・。
やっぱり、私も自閉症スペクトラム圏内っぽいよなーということ。
幼少期、、青年期のエピソードで。発達障がいというキーワードでひもとけるエピソードが結構あるのです・・・。
だからこそ。夫も、子どもも憎めない、許してあげたくなる気持ちになるのだと思う。
単純に、理解してあげれる良い母。良い妻ということではなく。
私の方が色が薄くて、社会適応してるんだろうな。と思えるだけ。
家族になってしまったから。
もうしばらくは深呼吸しながら、やっていきたいです。


幼い頃、実母に訊いてもはっきりしないが。
たぶん、3,4歳児くらいのこと。
母が働きに出ることになり、私は保育所にあずけられることになった。
ふたつ年上のいとこが、すでに、保育所に入所していて。
いとこもいるし、安心だという気持ちだったらしい。
でも、1か月すぎても、2か月過ぎても、あずけた後の大泣きがやまず。
保母さんを困らせていたらしい。
結局。保育所の方から断られたそうだ。


この子は、あんまりにも泣き止まないから。
母親が家で世話した方が良い。と言われて、断られたらしい。
母は、自分の子(他の子も含めて)は賢いから、賢すぎて慣れないんでしょうと解釈し。(いつも前向き、マイペース母です)
親戚の家に私をあずけた。
このときの記憶は、私にはしっかりとある。
親類の専業主婦のおばさんの家に朝から夕方まで、ずーっとひとりきり。
今思えば、おばさんも悪い人ではないが、不器用なタイプだったのだと思う。
熱心に家事ばかりやっている人だった。
なので、昼食はくれるけど、まったく、まったく構ってくれない。
ひとりでぶらぶらと近所を歩いたりもしたけど。幼い子は全く出歩いていなくて。
午前中は、ひとりでNHKばかり見ていた。午後は、ひとりでケンケンをしたり。
置いてあるジャンプを読んでいた。(本がなくて、ジャンプとたまにマガジン。そして古びた辞書。辞書はおじさんのもので絶対に触れてはいけないものだった。)
ジャンプ!幼稚園の年長で、ばっちり読めていました・・・。苦笑
誰にも教えてもらっていないのに。
えーっと。今、思い出しましたが、年長児に、公文にもしばらく通っていました。
鉛筆を拒否して、クレヨンで書きたがり。
いう事を聞かなかったので、公文も断られました。


姉から聞いたこと。
遺糞について。「いふん」と読むそうです。
私も、さきほど検索していて知りましたが。


自宅には、アップライトピアノがあって。
そのうらに、子どもだけが入り込める隙間があった。
湿気をためないために、つくった隙間だと聞いている。
幼い私を怒らせると、ピアノの裏に入って静かに黙って遺糞していたらしい。
大人の手が届かないので、片付けるのに苦労したらしい。


小学校で、私はかなりの優等生だった。
算数は全くできなかったけど。
学級委員をいつもやっていたし。
六年生では児童会長もやりました。
ワンマンな感じのリーダーシップを発揮するタイプだったような気がします。
今では、まったくリーダーしませんが。
どちらかというと、集団がこわくて引いているタイプです。


算数が全くできなくて。
掛け算九九や、時計を読めるようになったのは、四年生の時でした。
当時の担任が、かなり頑張って教えてくれて。
落ちこぼれを救済してくれました。笑
左右の区別もだいぶと遅かったように思います。二択で、間違った風を装うことをしていました。それは覚えています。


分数の計算も出来なくて。なんと六年生の時に出来るようになりました。
それも、卒業を控えての学年をあげての救済措置で、習熟度別にしたクラスで学びました。どんどん、ステップアップしたことを覚えています。
おそらくですが。自己分析ですが。数の概念が苦手なのだと思います。
図形や証明問題は大好きで、大得意でしたし。文章題もOKでしたし。
論理的な展開は、得意だと思うのですが・・・。
お恥ずかしい話ですが。割引(何割引きとか、何%引きとか)について意識できたのは、つい最近です!なんと40台になってから。
これまではイメージで(だいたいの)買っていました。
夫との会話から、それが普通でないらしいと知り。
たまたま見たネットニュースで、損する人。だと知り、最近は意識して計算するようにしています・・・。焦


その反面、国語、理科、社会などは勉強しなくても出来ましたし。全く困りませんでした。書道や図画、工作などは、何度も表彰されて、賞状を山ほどもらっていました。
お話大会でも、毎年というほど学級代表になり。万年、二番でしたが。
小学校で、出来が悪かったので奮起して。中学校では頑張りました。
400人ほどいる学年で、つねに20番以内をキープしていました。最高席次は2番でした。
通知表は、ほぼオール5。体育だけいつも4。それが自分の誇りでした。
勉強が楽しかったし、乗り越える苦しみも、楽しみも実感していました。


でもストレスもあったのでしょうね。
頭髪を抜毛する癖がありました。
自宅で勉強中に、抜いてしまうのです。
頭に出来たかさぶたも、何回もはがしての繰り返しで。
頭皮はいつもジクジクしていました。でも、仲良しの友達も同じ癖をもっていたので、異常性は感じていませんでした。
ただ、中学3年生の時に、リストカットしてみたいと思っていました。
出血するほどではなくて。でも、ちょっぴり切ってみました。
そういうのをしてみたくなる時期。思春期・・・だったのだと思いますが。


頑張ったかいがって、第一希望は不合格となるも。
地元ではまあまあの、進学校へ進むことになりました。
しかも、もともとは算数が苦手なのに!理数科へ進学してしまったので。
暗い思春期が幕開けます・・・。
美術系に進んでいたら・・・。
絵も好きで、得意な方だったので。ADHDらしく、暮らせていたのかもしてないと悔やまれます・・・。
でも、ヘタウマ的な絵しかかけません。ちなみに、アンパンマンがやっとです。


続きは、いつか気が向いた時に。書きますね。
自分を振り返ること、公開することで、何かが変わるのを自分自身に期待しています。



×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。