哲学的な気づき・・・祖父母の死(まだ健在)
先日、実家に帰省しました。
飛行機の距離なので、会えるのは年に1,2度です。
今回も一年ぶりの帰省になりました。
祖父母は高齢で80代です。
そのため満足にもてなすこともここ数年は難しくなってきました。
(寝床、寝具の用意、食事の世話、遊びに付き合う事も大変そうです。)
そのため、実家に帰省しても宿泊は少なく、兄弟の自宅に宿泊します。
今回も宿泊は1泊のみでした。
帰宅してから、不在中に高温のためか金魚が病気になってしまい薬浴にて治療中です。
その金魚が、死んでしまうかも・・・。という話の流れから。
死を意識しました。
思い返すと、一年以上前(4歳代?)に死について理解したのも、金魚が死んだ時でした。楽しい思い出をありがとう。と一緒にお祈りをして、土に埋めました。
分かっているような、分かっていないような様子でしたが。
何回も質問してきて。死を理解した様子で大泣きしていました。
今回も、金魚の死から祖父母の死を連想して。
急に激しく大泣きでした。
子:「もっと、ばあばにぎゅぎゅ(ハグ)しとけばよかったー。(大泣き)」
とのこと。
子「ばあばとじいじは、いつ死ぬの?」
母「ままにもわからない。でも死ぬのは自然なことだよ。若い人が死ぬのは自然じゃないけど。年とって死ぬのは自然なことだよ。」
母「命をつないだら、死んでもいいんだよ。充分なんだよ。人間がずっと生きていたら、地球上が人であふれてしまうから。順番に死んでいいんだよ。」
と説明しました。
本音ではどうやって命の教育をしたらよいのか戸惑いもありますが。
私は命に比較的近い仕事をしています。対人援助職なので、生き死にや人権については考えがある方だと思いますが。やっぱり幼児に教える自信などありませんでした。
でも、絵本などを参考にしながら自分自身の価値観も織り交ぜながら家庭教育に取り組んでいるつもりです。
葉っぱのフレディでは、死を「お引越し」と表現しています。
この本は、哲学者が書いた絵本です。葉っぱの写真が美しい。
自然科学的な道筋で葉っぱの人生を表現しています。とても腑に落ちます。
3歳か?だいぶ幼い頃に読み聞かせしてあげました。
幼い子には難しいかな。とおもいながら読みましたが。とても集中しており、内容もよく理解していました。高齢者にも読み聞かせした経験があります。認知症の軽度の方まで、よく聞いてくれ、涙を流すかたもおられました。とても良い絵本です。
- 葉っぱのフレディ―いのちの旅
- 童話屋
- 本
- このあと どうしちゃおう
- ブロンズ新社
- 本
ヨシタケシンスケさんの絵本は、とてもおもしろいですね。
流行っている絵本です。
この、このあと どうしちゃおう は、ユーモラスな絵本です。
あの世・・・という世界、生まれ変わり・・・という死生観に初めて暴露した絵本です。
より良く生きるために、死を考えるという内容になっています。
3歳?代か、何回も何回もせがまれて読んであげました。
そして。
怖すぎて持っていないのですが。図書館や、本屋さんでの立ち読みでかなりの影響を与えた絵本が「地獄」です。
- 絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵
- 風濤社
- 1980-08-31
- 本
お寺さん収蔵の蒔絵から、怖い色々な地獄絵が掲載されています。
本当に怖い・・・。
そして最後の方で、親より若くで死んだ子どもはサイの河原地獄に行きます。
だから、親より若くして死んではならぬ。という命の教育になっています。
正直なところ、そんな単純な教えでよいのか。という迷いもありましたが。
(だって、病気で亡くなった子が、石を積み続けるのはかわいそう。)
今のところ、母、父よりは早く死んではいけない。という単純な教育をしています。
そして、保育所では。
じごくのそうべえ を読み聞かせしてくれたようで。
「じつは何回も嘘をついている・・・。地獄にいくの?」と相談を受けました。
とりとめなく書き綴ってしまいましたが。
なにかの参考になれば幸いです。