明日もある !凸凹家族

カサンドラ症候群です。自閉症スペクトラム、ADHDの子ども育児について綴っていこうと思います。

我と我が身を励まさん

高校生の頃に読んだ詩で、ロマンスという本がありました。たしか、友人の姉から勧められて読み始めて。何冊も何冊も読みました。

書店には彼女の本がたくさん並んでいた。

ゆるい絵や写真、感性に触れる詩。

ずーっと長年忘れていたけれど。

ふと、詩のフレーズを思い出した。


私の奥には、これまでの大好きがたくさん潜んでいることを思い出した。

きれいなもの、美しいもの。


人が周りに沢山いるだけではだめで。

人と自分が反応した時に、這い上がる力が湧いてくるのでしょうか。


私へのプレゼントはとても一生懸命考えたもので。不思議と、私にぴったりだった。

驚いた。自分では気づけなくなっていた、隠れた私の好みにぴったりのプレゼントだったから。良くわかったね。


人は孤独。でも孤独ではない。

矛盾するけれどね。


誰か1人でもいい。

大切な誰かが心の中にいれば。

強くなれる。

1人でも孤独ではない気がした。



ロマンス  銀色夏生


来年の春はそれぞれの立身出世を祈りつつ


累々たる夢荒野


劣情烈火をしかりつつ


ロマンスの道は遠かりき


我と我が身を励まさん

母の行動異常

しばらくの間、ブログからは離れていました。
応援して下さる方々。ありがとうございます。
今日はふと、書けそうな気持になったのでPCに向かいました。
私は生きています。


家庭内で孤独なんですよね・・・。
結局は。
それは私の人とつながるのが下手という特性からくるものもあると思います。
そして、夫も子どももみんなが下手。
コミュニケーションの取り方が独特で、下手。
かみあいません。
子どもと二人で一緒にいるとつらいこと・・・それは、普通に気持ちの通った会話が成り立たないこと。私が敏感になっている時には、子どもの独語はかなりしんどい。そこにいるだけのことなのですが、聞き流せずにイライラが高まってしまいます。子どもは上機嫌に歌ったり、好きな映画の場面やテレビCMなどをリフレインしているだけなのですが。その真似がそっくりすぎるほど、いらいらします。


夫は基本的に家にはいません。仕事でかなり遅い帰宅。
今はいない方が平和です。
ゴールデンウィークは夫が大型連休だったので、かなりしんどい日々でした。
終わってホッとしています。


ブログをお休みしていた間のこと。
なにが起きていたのか。


実父の介護のために介護休暇を取得しました。
約1か月間です。遠方飛行機の距離なので、子どもは一緒に連れて行くつもりでしたが。
本当に色々と考えて置いていきました。
子どもの世話は夫の実家で。そもそも、夫の実家との交流はほぼなくて疎遠です。
ただ今回は義妹がわけあって滞在中でしたので、思いきって頼りました。
夫も義父も想像以上にこの決断を理解してくれました。
子どもにとって、環境を変えることで登校できなくなったら困るということ。学年末だったために通学させてあげたいという気持ちからです。
離れていた間に子どもが成長し、変化したこともたくさんありました。
これまで一晩とて離れたことはなかったのに。
母との別れを受け入れてがんばってくれました。
おおきな変化は、大人に囲まれたことで安心感が生まれたこと。
母以外の人には遠慮するため、むちゃくちゃなことはしない。
褒められることが増えて自己肯定感が育ったように感じました。
やはり私ではだめだった。
私以外の人が育てた方がうまく育つのだわ・・・という気持ちが正直なところです。
でも、母に会えるから頑張れた。というところも認めてあげてくださいねとカウンセラーからはアドバイスを受けました。


たった一か月半くらいの間にジェットコースターのように父親の状況が変化しました。
急性期病院からリハビリ病院への転院調整、在宅介護のための申請や手続き。
ケアーマネージャを通じての、デイサービスや訪問看護・・・・。
毎日毎日、午前・午後と初対面の人にたくさん出会いました。
同時並行で、母の介護保険の申請やケアーマネージャーを通じての相談や見学、デイサービス調整、地域の見守りの方との面談、地域包括支援センターとのやりとり。
父の入院中はそういうことをしていました。
昼食と夕食の時間に面会をしての繰り返し。
自宅で一週間の介護をしている間は、自分が不眠不休状態で。食べるのも忘れて3㎏やせました。あっというまです。
その後、リハビリ病院では受け入れられず、また急性期病院へ。
状態が悪化したため、方針転換をして看取りの方向へ。死への準備期間です。
自宅で慰労会と身内の誕生日をするために一時帰宅しました。
本当によい思い出ができました。
その日だけは熱も下がって。
15分も座っていられないくらいに弱っていたのに、一時間以上も座っていられました。
そして、子や孫への挨拶までできた。夢のような時間でした。
そして亡くなりました。
本当に悲しい。
なかなか向き合えませんでしたが、こうして少しずつ時間が解決することがあるのでしょうね。


母の行動異常です。
1.食行動の変化
辛い物を極端に好む。七味唐辛子、タバスコをなんにでもかけて食べています。辛くないと食べられないのです。少量を辛くしてしか身体が受け付けません。


2.喫煙
タバコを吸いはじめました。きっかけは通夜の晩にあまりも苦しく、火葬が受け入れられなかったところからです。


3.飲酒
キッチンドリンカーになりました。夕方から度数高いのを飲み続けています。


4.性欲亢進
異常事態です。カウンセラーに相談しています。
衝動性からの不適切対象、行動はないか、経過観察中です。


父は週末アルコールホリックでした。
父のことをこれほど思っていたとは想像してもいなかったのですが。
父の死からくるストレス反応だとわかりました。


恋人が亡くなったような気持ち?と確認されて、大泣きしてしまい。
自分で気付けました。
初めて交際した相手との別れのあとに、まったく同じことが起きていました。
あの状態・・・。思い出しました。


本来の私はどこに行ってしまったのだろう。
こわくもなりました。


ただ、良いところも悪いところもあっての人間。
大変なのは大きく変わっている時期だから。
「ほどよいところで落ち着くといいですね。」とカウンセラーに言われた。
いまは行動異常からくる日常生活との軋轢を調整中です。


夫と子どもはというと・・・・。
不思議と穏やかなのです。
パワーダウンした母、不良化して自己中になった母の方がよいみたい。
というか、向こうが適応してくれている気がしてなりません。
ひとりになりたい。
ゆっくり休みたい。
でもかなわないこと。


ご飯を作り、家事をして、仕事も続けている。
でも前の私と今の私は全くちがいます。
自分で情けない気持ちもするけれど、そうしなければ生きていけない。
なにかが起きれば自宅を出ていきそうな自覚があります。
ひとりになりたい。そう思いながら日々をやりすごしています。


まだここには書けないこともあるので。
また気持ちの整理や、状態が落ち着いたら書こうと思います。
生きている実感や喜び、きっとあるはずです。

高齢者の発達障害


台所を片付けたら、使ってない包丁がこんなに出てきた!泣ける。

その他にも本当に色々、多量のゴミ。


粗大ゴミは処分にお金も手続きも大変!

ご近所にゆずるアプリを使用してみました。

程度が良くて、かさばるものをボチボチ出品しています。


成人して、実家を出て暮らし始めて20年以上になります。

今回、介護休暇をとり、実家暮らしをしはじめて、確信していることがあります。

両親も発達障害があると言うこと。


認めることは簡単でしたが。

受け入れて、許すことはなかなか出来ない。

ここでもカサンドラです。

本当に悲しい。


高齢者の発達障害については、本などで見聞きしたことはほとんどありません。

ただ年をとってから頑固な変人になったのではなくて、若い時からの性格と思われていた人はたくさん出会ったことがあります。


母はADHDです。

昔から趣味で出歩いてばかりで、家庭のことは最低限でした。

60代、70代は拍車がかかってかなりの多動。

でも趣味の世界で認められて。

社会貢献でま認められて。

自己実現をして、かなりの鼻高さんでした。

私は別居していたため、傍観しているだけで良かったのですが。


今回は見ていてハラハラします。

やりたい!行きたい!

と思ったら、飲み食いを忘れて、出歩いてしまう。その上、帰宅しても止まらない。


夏場はまた倒れるだろうと思うました。


さらに。

ADHDだけではなくて。

おそらく自閉症スペクトラム持ちだと思うのですが。他人の表情に鈍感、さらに会話が待てずに奪い取り、自分の話ばかりで脈絡もない。声がデカイ、ずっーとデカイ。私が話しはじめると、興味が持てずにふらーっと逃げ出す。


高齢者は、体力や気力が衰えて自信がなくなる。

それなりに、認知面も衰える。

間違いや失敗、うまくいかないことがバレないように取り繕う性格は、自信をなくしていきます。

機械支払いのレジで戸惑うなど。

社会的なもの役割もなくなっていくので、さらに自己肯定感が下がる。


認知症ではなくて。

元からあった発達障害が酷くなっている状態なのではないかと考えています。

自己肯定感が下がるので、自閉の山が高くなり、自閉症状が出てくるのだと思う。


うちの母だと、世話されるのが当たり前で、世話は苦手。苦手なものを頑張ると、適応障害を起こす。それが悪化しての、発達障害の症状です。


子育ても下手だし。

介護も下手ということ。


結局は、私も親子なので同じなのですが。

自閉の山が低い方がカサンドラになるのでしょうね。


母の口から出てしまう悪意のない、ヒドイ言葉にやられて泣いたり、怒ったり、振り回されています。


片付けで捨てられる恐怖心から。

母「まだ生きているのに、あんたは親を殺しにきたんだね!」

母「(食事、水分が進まない父をみて)このままだと、1週間で死ぬね!」

本当に腹立ちます。


子どもも体調悪い時には泣いているし。

私もそろそろ実家がつらくてコンビニやイオンに逃げることもあります。

やっぱり、距離感が大事ですね。

実家が居心地よい人がうらやましいです。


父母のために、高齢者の発達障害を診ていただけるクリニックはないか?探してみたけど。やっぱり、なさそうでした。

実家の生前整理

連日、ハードです。

子どもを思い出すどころではありません。

母は自宅。

父はまだ入院中です。

片付けするなら、今しかない!



少しは淋しいけど。

目の前にある事に一生懸命になる性質なので。

実家のやるべき事が山積していて。


小さい事から、大きなことまで。

頭脳、判断つかうことから、肉体労働まで。

頑張りすぎです。

仕方がないのですが。


子どもではなく。

母を叱る日々です。


そして、気づいた。

これではいけないと。


しっかりしているつもりだったのに。

ケアーマネージャーさんとの面談を、まさかのすっぽかし!やらかしてしまいました。

あー、ADHD症状が酷くなってる。

私の頭が悪化している。ヤバイ!


母と少し距離を取ろうと思ってたら。

寝る前に、枕の下にお年玉袋‼️

私へのお礼らしい。涙

2千円が入ってました。



母も断捨離が出来ない。

だから、私が捨ててるけど。

私も気持ちはわかるんだよ。

同じタイプだから。焦


今日は半日がかりで、ゴミ焼却場へ行き、多量のゴミを処分してきました。

朝から役所に電話して、処理方法の確認。

軽自動車に入るだけ詰めて役所へ移動。

役所の人に中身を確認してもらいます。

ゴミ袋8割出して確認。

ゴミ焼却場への入場許可証をもらい、さらに移動。

あとは粗大ゴミの手配もしました。

有料券1枚300円。

一度の回収は8個まで。


まだまだあります。粗大ゴミ。


まだまだ片付かないけど。

経験値はアップ中です。




鍵だけで、こんなに出てきました。

捨てようと思ったけど。

まさかの開かない場所が出てきたら困るので。

一応、保管することにしました。



きょうだいの?

オーディオ関連出てきたので、捨てる許可だけ欲しかったのに。まさかの反対にあい。

腹が立ってしまった。

こんなに苦労しているとは思わないのだろうなー。

とりあえず移動させた。

きょうだいも!捨てられない性分だったのを思い出した。自分が引越しする時に、多量に実家に送りつけてきたから。




今日も2回泣きました。


1度目は、ゴミ焼却場を出た時。

記念に写真を撮りました✌️

物は捨てても。思い出は捨てていないはず。

気持ち良い生活のためです。

私のしていることは、間違いではないと、涙が出た。でも捨てちゃったから。




2度目は夕方。

ガスコンロは処分します!

でも母には受け入れられない。

友達から、IHクッキングヒーターの文句ばかり聞いているらしくて。

家電屋でもめて。

買わずに帰ってきた。

それから二転三転して。

母の気持ちにも変化がある。

面倒だけど。

時間が必要なんだろうな。

急過ぎるから。


理解してても。

受け入れられないんだ。


ペース落としてやりたいなー。

できるかな。笑

玉子かけご飯の淋しかった思い出

子育てがうまくいかず、それもこれも子どもと自分自身(そしておそらく夫も!)が発達障がいがあるという事を知り、とてもほっとしました。
上手くいかなかったのが、私の育て方のせいじゃなかったーという気持ち。
つまり、私のせいじゃなくて子どものせいだったから。
でも、結局は遺伝だから、私のせい、夫のせいだよね。
頑張っても頑張っても上手くいかない子育てに家事。そして夫との関係。
これまではお勉強をしっかりして、ワーカホリックだった人生。
それなりに上手くいってました。
うつ病になったり、つまずいたこともあったけど。
順風満帆な方だったのかも・・・。


でも、私の人生って失敗だらけ。
望んだ子(妊娠)でもなく。
高校受験にも失敗して、第二希望の学校へ進学。
大学受験も第一希望校に2回も落ちて。
浪人時代の後半は予備校にも行かずにひきこもり状態に。
大学受験はあきらめて専門学校へ進学しました。
親はもちろん大反対。しかたがなくて、学費もろもろをバイト費用でまかなって。
親から自立せざるをえませんでした。
その後は、親から反対される職業についています。
認められるのに5年もかかりました・・・。
さらにうつ病になって短期休職した際には、否定されてしまい・・・。
「なんでうちの子がうつ病になるの!」と言われた・・・。
ひとりきりのアパートで途方にくれていました。
でもなんとなく行き来するようになり、なんとなく関係修復。
その後は、
飛行機の距離となり、物理的に距離がとれたことで関係も保っていました。


私は、4人きょうだいの末っ子としてうまれますが。
のぞまれた子どもではなかった。できちゃった子です。
父母ともに妊娠に気づかず、腹が大きくなり太ってきたために近所の人から指摘されて妊娠に気づいたそうです・・・。
物心つきはじめた頃に知り、幼いながらにがっかりしたのを記憶しています。
玄関の表札には家族の氏名が書かれていたのですが、私の名前はない。
とても淋しい気持ちでした。
高校生?くらいの時に、父が手作りで名前だけの手作りの表札を貼りつけてくれました。
かなり大きな字だったので、恥ずかしかったけれど。うれしかったです。


上のきょうだいは、10歳以上も年上だったので。遊んでくれるわけでもなく、いっつもひとりぼっちでした。年が離れていたら可愛がってくれたでしょ。なんて他人に言われるのですが、そんなことはちっともありませんでした。
家族みんな出歩いてばかりで、小学生の頃は帰宅してから家事をよくしていました。
家事分担表があったのですが、高校生の姉たちは部活で忙しくて、私ばかりが家事をかたずけていました。
いつでも、畳間に山盛りになっている洗濯物。
いつでも洗濯待ちの衣類や干されている衣類。
洗濯機を回しては干して、取り込んでいました。
母は夜21時頃に洗濯機を回して、洗濯物をほしていました。
だから、私はそれが普通とずーーーーっと思ってた。
今でも母は自慢げに言うのです。「洗濯物はよる干してもいい~。みんなは干さないけど、干しても乾くしいいんじゃない?」と。
炊飯器のご飯はいつでも保温された状態で。黄ばんだご飯はすえた臭いがする・・・。
穴が開いた靴下ばかりで、恥ずかしかった。
洋裁師の免許までもっている母ですが、繕ってはくれなかった。
貧乏でしたし。物がない時代です。
靴下をかさねばきしてごまかしていました。
小学校4年生の家庭科の授業で裁縫をならってからは、自分のものは自分で繕うようになりました。母は得意なのに教えてはくれなかった。
夕方帰宅すると、米をといでから炊飯器をセットするのが私の役割でした。
遊び過ぎて帰宅しても怒られることはありませんでしたが、夕食は20:00とか普通でした・・・。だから、よその家庭でもそんなもんだと思っていました。


今朝、玉子かけご飯を食べていたら不機嫌な夫からこう言われました。
夫「玉子かけご飯って、食べたことない。それって、みんな普通に食べるんでしょ。美味しいの?」って、ちょっとさげすんだ口調でした。
夫の実家は祖母、母と専業主婦がふたりもいた家庭です。
ゆで卵の殻はむいたことが無い男。
玉子かけごはんとは縁のない人生だったようです。


私には玉子かけご飯の、冷たくて淋しい思い出があるのです。
貧しくておやつの用意がない家庭でした。
玉子と、炊飯器に保温されているご飯がある時は、玉子かけご飯にして食べていました。
冷たくて、誰もいない自宅でひとりで食べるおやつが、玉子かけご飯でした。
だから、玉子かけご飯は好きではありません。


余談ですが。
玉子がないときは、塩をなめていました・・・。
ニガリが入っている塩は甘いんです。
遠慮しながら少しずつなめていました・・・ばれないように。
それも寒い思い出です。
お腹が空くと、グーで胃のあたりを押すんです。
すると空腹がましになる。そんなことも思い出しました。


母の口癖は「ひもじくしてないかね?」でした。
常にお腹が空いていないか気にかけてはいるのです。
でも、私は一人きりでいつもお腹が空いていました。
母が気にかけてくれていると信じていました。
今では分かります。
母は、悪気はなかった。その能力がなかっただけなんだと。
(おにぎり置いておくとか、おやつを用意するとか)
母自身も、そうされたことが無かったし、できなかったんだと思う。


あと玉子焼きも。
姉たちの弁当のおかずにと毎朝、玉子焼きを焼いている母。
弁当につめた後の残り物が朝ご飯です。
起きた順に食べてでかける。しかも数切れしか残りません・・・。
人数分の朝ご飯はありませんでした。
玉子焼きの匂いはするのに、食べられない玉子焼き。


そして、晴れて高校生になった私の弁当に玉子焼き。
母の玉子焼きは真似できない美味しさなのですが。
(中がとろっと半熟で、塩加減が絶妙でこげていない。)
おかずがそれだけとか・・・。
もうね。悲しすぎる弁当でして。
思い出したくないです。
恥ずかしくて友達と食べられなくて、早弁していました。


先日、帰省した際に、玉子が安いというので母が2ダース買うと言いはじめました。
2ダース?って何個なの?
もちろん必死で止めましたけど。
独り暮らしで2ダースはまずいよね・・・。


私の玉子焼きに対する抵抗感やコンプレックスは、この経験からきていたのだなーっと気づけました。


5歳~6歳の頃。
もしかしたらもっと幼い頃にも。
私はおばの家に日中はあずけられていました。
保育所に通いはじめたけれども、泣き過ぎて泣き過ぎて。
保母さんがあずかれませんと根負けしたらしいのです。
日中、ずーっと淋しい子ども時代。
夜も大人ばかりでさびしい。
大人扱いされたから、頭も心も大人びてしまったのでしょうが。
褒め上手な母は褒めるだけ褒めて、本音では私に関心はないのでした。
私は本が友達でした。
本の虫。
小学校3年生の頃に相棒の犬を飼ってもらえます。
でも、ADHDのせいか世話は不十分でした。
親は全く(本当にまったく)世話しないので。
私だけが世話していました。
毎日のエサやりとお散歩。散髪もやりました。
とても大事にしているつもりでしたが、いなくなってしまいました。
それまでにも逃げたり、よその人に取られてしまうほど可愛い犬だったので。
どこかで幸せになっているのを信じてあきらめました。
ちゃんと世話はできていませんでした。
とくに中学生になり、多忙だったり、犬に興味がなくなってからは。
家族のだれも、犬をかわいがったり世話してはくれませんでした。
母はたまに興味あるときだけ可愛がってくれたかな・・・。
だから、私は私自身も母のペットなんだと思っていました。
自分の関心のある時だけ可愛がる。
成績が良くて、問題行動のない自慢の娘。


母も私自身も、悪気はなくても生き物の世話が下手なんです。
子育てをしはじめてから、金魚や植物の世話ができるようになりました。
植物は枯らすことしかなかったのに。
生き物を育てる。


お世話することが下手な母が、子どもをネグレクトしたり。
餓死させたり・・・。
これも、すっごくよくわかるのです。


ゴミ出しができない。
片付かない。
料理ができない。


私は家庭をもつことで、家事が出来るようになりましたが。
独身の時は一切、できていませんでした。
だから、今は無理しすぎ。今が自分にとっては不自然な状態です。
自分の能力と、理想が離れすぎている。


昨日、夫に言われて気が付きました。
夫「インスタントコーヒーは?ドリップしかないの?」
私「私はドリップが好きだから。(インスタントもあったけど)」
私「コーヒーはドリップ、味噌汁はだしから取ってるよ、家は。○○ちゃんも、だしから取った味噌汁じゃないと飲まないから。」
夫「プライド高すぎるんじゃない・・・?」
私「?(答えず終了)」


夕方、用事で忙しかったので、インスタントの牛丼を食べました。
私「インスタントも美味しいね~。たまにはこういうのもいいね。どうやって手抜きしたらいいのか分からないんだよね~。これ、いいわ!」
夫「私はインスタントは食べませんって、プライドが高いんじゃない?」


一日に二度もプライドが高いと言われてしまった。
でも気づけた。プライドではなくて、きっとこれは私の「こだわり」なのかもと。
こだわっているつもりはなかったけど、自然にこだわってたんだと。
だから、今年はインスタント食品をたっくさん試してみようと思った。本気で。
玉子や野菜を加えるだけで満足で栄養価も高い、時短にもなる。


シチューとカレーばかり食べているのに。
夫にプライド。と言われて、やっぱり夫はズレてるなと感じた。


プライドなのかこだわりなのか。
とにかく言語が下手な夫と、言語が優位な私と。
夫婦関係がすでにズレてますよね。苦笑